嘉永2(1849)年に建てられた書斎で晩年の淡窓が好んで使った建造物です。
咸宜園は文化14(1817)年、全国的に著名な漢詩人であり、儒学者であった廣瀬淡窓が天領日田の地に創設した私塾(学問塾)です。身分・階級制度の厳格な時代にあって、身分等の区別なく生徒を受け入れました。入門時から徹底した実力主義を貫き、その名は全国に知れ渡り、実に80 余年の長きにわたって、全国60 か国以上からおよそ5,000 人の遊学の徒が入塾しました。最盛期には230 人を超える門人生が学び、私塾としては破格の規模といえます。
咸宜園を訪れれば、全国有数の教育を展開した私塾だけでなく、それを育んだ環境や豊かな町人文化にふれることができます。
大正2年、門下生の長岡永邨(絵師)によって描かれたものです。当時は、既に講堂や東塾など失われた建造物もありましたが、咸宜園の門下生たちによって江戸時代末期の姿に再現されています。
淡窓の伯父、月化が天明元(1781)年に建てた居宅で、咸宜園を代表する建造物です。
日田代官所の陣屋町として形成され、後に商家町として繁栄しました。 淡窓はここで生まれ、学問の道を志しました。
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